trialog Partnered with Sony
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VOL.3 SOUND, SPACE & UNIVERSE(S)

音と視覚のさまよえる宇宙

OPNのことばの破片──ふたつの視点から「宇宙」を読み解くクロスレビュー

9月13日(木)に開催されたtrialog vol.3。来日公演を終えたばかりのOPNことダニエル・ロパティンのトークとプレゼンテーションによって会場は熱気に包まれ、ライヴ配信の累計視聴者数が計65万人を超えるほどの盛り上がりをみせた。

ダニエルと盟友ネイト・ボイスによるプレゼンテーションは彼らのパフォーマンスの秘密を明かし、クリエイターの水口哲也やSF作家・樋口恭介らが参加したトークはそのパフォーマンスの源泉を探ってゆく。濃密な3時間によってOPNの作品やパフォーマンスの謎が紐解かれてゆくと同時に、彼ら自身でさえまだ答えをもたない新たな問いを浮かび上がらせもしていた。

OPNに刺激を受けたtrialog代表・若林恵とSF作家・樋口恭介は、今回のtrialog終了後すぐさま「クロスレビュー」を執筆。イベントを通じてダニエルと対話したふたりは、彼の言葉から何を感じとったのか。視点もテイストも異なるふたりのレビューから、OPNという複雑怪奇な「宇宙」の断片に触れてみてほしい。

PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

窓のある部屋

TEXT BY KEI WAKABAYASHI

正直、混乱している。人生ではじめてのことなんだけど、この先、自分が何をすべきなのか、わからないんだ」

ダニエル・ロパティンは、100人ほどの聴衆を前にして、そう語った。驚くほど率直な吐露だった。でも、そこに嘘はなかっただろうと思う。トークイベントが始まる前、楽屋でダニエルは、ちょっと冗談めかしながら、次のアルバムが、OPNのアルバムとしては最後になるかもしれない。10枚目の作品になるわけだし」と語り、最近は、たくさん曲を書いているとも語っていた。ピアノだけで、ちょっとしたメロディもつけて。ランディ・ニューマンのスタイルでね」

OPNの最新作『Age Of』と、それを受けてニューヨーク、ロンドンに続いて先日東京でも上演された、OPN流オペラ作品「MYRIAD」は、それまでのOPNの音楽の奇怪さを愛してきたファンからすると、少しばかり据わりの悪い作品となっていたかもしれない。普通のカントリーソングを普通に歌ってたりして、それはそれでもちろん、ジャンルをメタ化して巧みに操るOPN一流の手法によって説明もできるのだけれども、OPNの面白さは、いわゆる「ベタで陳腐な」表現(Corny」という言葉を使っていただろうか)を、茶化し、笑いのめし、ぐちゃぐちゃに解体してはしまうものの、実のところ、その「ベタさ」自体を決して嫌っているわけではないところにあるようにも思われる。

今ほどの注目を集めるにいたる前、一介のインディ/アンダーグラウンド・ミュージシャンだった頃であれば、ポップカルチャーのあらゆるコンテクストを絶妙に横断しながらそれらを解体・再構築していくOPNのやり口はことさらクールだったが、いまにして思えば、それはポップカルチャーの外部にいればこそなしうるわざでもあったのかもしれない。ところが、名門レーベル「WARP」に移籍してからのOPNといえば、それこそ飛ぶ鳥を落とすような勢いでその名声を高め、メジャーアーティストから、アート・ファッション界隈から、そしてハリウッドからラブコールを贈られる人気者となっていった。つまるところ、OPNは、彼がメタな視点から素材として扱ってきたポップカルチャーの一部となってしまったところがある。結果、外部的な視点を保つことが困難となり、これまで以上に自己言及的にならざるを得なくなっているかもしれない。とはいえ、果たしてダニエル・ロパティンは、そのことを嫌がっているだろうか。それとも、案外楽しんでいるだろうか。

地下室にこもって、散り散りとなったポップカルチャーの断片を奇怪な妄想をもって貼り合わせていたアウトサイダーは、いつの間にかシーンのなかにポジションを得、そうなることで、その諧謔や皮肉は一種の「芸」としてポップカルチャーの枠組みに組み込まれ、本来期待されていた破壊力を骨抜きにされてしまったのかもしれない。なんだか、自分がラベリングされて、美術品みたいにアーカイブ化されちゃったような感じがするんだよね」と、イベント会場の屋上にある喫煙所で、ダニエルは呟いた。

Age Of』のオフィシャルインタビューのなかでも、彼はすでにそのようなことを語ってはいた。ありのままのOPNになったということですね」という問いを受けて、ダニエルは、そうだね」と答え、映画『グッド・タイム』で協働したサフディ兄弟とのエピソードをこんなふうに語っている。

映画監督のサフディ兄弟と仕事をした時のことで言えば、彼らはある特定の種類のOPNが頭の中にあった。でもそれは今現在のOPN、つまり僕とは違う。こういうことは、今の自分が“何でないか”を説明してくれる。あの時の自分が、完全に過去になったってことを気づかせてくれるんだ。クレイジーなシンセ音を作っていた頃の自分を振り返るのが嫌だと言ってるんじゃないけれど、いかにそれが過去になったかということを再認識させてくれる。今まで作ってきたものとは違ったものを音楽で表現できるようになりたいんだ」

PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

OPNは、これまでとは違う音楽家になりたがっているに違いない。環境が変わったのだ。それにあわせてOPNもかたちを変えていくのは必然だ。そして、その変化の衝動のなかで、もしかすると、いまのところまだ明かされていない、作曲家でも、音源のプロデューサーでもない、プレイヤー」としてのダニエル・ロパティンが疼いているのかもしれない。トークイベントのなかで、ダニエルは、自身がロックバンドのメンバーであったことを明かし、リスナーとして親しんできたジャズの即興性や即時性、身体性への傾斜を示唆した。実際、MYRIAD」は、ダニエルを含む4人のメンバー(それぞれのメンバーの個別の活動を知れば、それが一種のスーパーバンドであることがわかる)によるアンサンブルによって構成されていた。彼自身が敬愛して止まない素晴らしいプレイヤーとともにステージを分かち合うことを、彼はことさら喜んでいたはずだ。ライブの途中には、それぞれのメンバーのソロパートが用意されていた。そして、たしかに個々のメンバーの技量に、オーディエンスの多くは息を呑んだに違いない。

けれども、それはそれで「ベタ」な形式でもあっただろう。電子音楽のライブにありがちなクリシェは、たしかにその分後退したとはいえ、代わりに、むしろロックやジャズのコンサートにおけるクリシェがせり出してきていたのは、果たして策略だったのか、そうではなかったのか。

個人的には、ダニエルが率いたアンサンブルは、素晴らしいものだった。現代音楽、即興音楽、フリージャズ、電子ノイズなど異なるバックグラウンドをもつ俊英を取り持ち、つかず離れず絶妙な距離感で組み上げられたアンサンブルは、それ自体が、スリリングな「場」だった。よくこんな面白い人たち集めましたね。そう問うと、ダニエルは「ニューヨークってそういうところなんだよね」と、楽しげに答えた。

たしかに、フリーインプロから、インディクラシックから、電子音楽までが、極めて近いところにありつつ意想外なやり方で結び付く、いまのニューヨークの音楽シーンのネットワークとダイナミズムを、このアンサンブルはまさに体現していた(ちなみに、ドラムを担当したイーライ・ケスラーは、この12月、ローレル・ヘイローとともに再来日をするのだという

MYRIAD」のライブ会場で会ったとある音楽家は、OPNの現状について、なんか過渡期っていう感じがするんですよね。むしろ次にどうなって行くのかが楽しみかな」と語っていた。当のダニエルは、ものすごく精緻な作品をつくりたいと思ったりもするし、昔みたいにループペダルだけで電子音の壁をつくるみたいなところに戻りたいと思ったりもするし、本当に自分でもわからないんだ」と、どこまでも開けっぴろげだ。つまるところ、OPNの人生は、36歳にしてふたたびオープンエンドなものとなった。それは本人のみならず、聴き手やファンにとっても、なんとスリリングなことだろう。

以前、訪ねたOPNの作業場は、マンションの地下の一番奥の突き当たりにある、空気の籠もった狭い部屋だった。あそこにまだいるの?」と聞くと、ちょっと前に引っ越したのだという。新しいところには窓があるんだ」そうなんだ。そりゃいいね」うん。それだけで、なんか気分がいいんだよ」

若林恵|KEI WAKABAYASHI
1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。

PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

拡散する宇宙あるいは暇を持て余した天使の詩

TEXT BY KYOSUKE HIGUCHI

声に覚醒めれば、それは音楽。プラチナ端末は美しい調べで果てしなく高鳴り、彼らは多くの時間を飛び越える。音楽の中では時間が引き裂かれる。

今は存在しない楽器や、録音技術や、偶然の響きが蘇り、過去でも未来でもなく、この瞬間にしか存在しない永遠として、すべてが同時に奏でられる。絶えず出力される音素は空間を満たし、連続する音素の集合は、数的論理を伴いながら現象として表出する。コンピューターの中で、バンドのアンサンブルとして、あるいは、これから存在しうる誰かの歌声によって。

音素の運動は連続でありつつ同時に瞬間的なスナップショットであり、そこには音はあっても音はなく、全てがあって何もない。

果たして」とわたしは訊ねた。音楽はいつまで残るのでしょうか」

音楽はずっと残ります。永遠に」と彼は言った。しかし、それは同じ形で残るわけではありません。音楽は、一つの場所にも、一つの姿にもとどまることはありません。音楽は変わり続けます。同じ音楽が同じように聴かれることは決してありません。聴き手は当然ながら変わり続け、音楽自体もまた、変わり続けるのです。それが聴かれ続ける限り」

その音楽家と別れてから数日が経ち、わたしは今、自室で音楽を聴いている。Oneohtrix Point Never『Age Of。彼からもらった音楽だ。わたしは音楽が好きだ。音楽は、不思議な考えをたくさん引き連れてくる。わたしは小説を書いており、着想が煮詰まったときは、決まって音楽に集中する。

たとえばわたしは今、フランケンシュタインの怪物について考えている。わたしは、フランケンシュタインの怪物のようになりたいのです」と彼は言った。彼の作る楽曲は、あるいは楽曲を作る彼自身、それから楽曲を解釈し演奏するバンドについても、彼はフランケンシュタインの比喩を繰り返し持ち出しながら語り続けた。その言葉は、巨大で、複雑で、コントロール不可能で、自律的で、拡張的なものの総称として使われていた。

フランケンシュタインの怪物。それは一種のサイボーグであり、異なる人物や異なる機械の部分的な断片が、それぞれの来歴を保ったまま継ぎ合わせられ、一つの個体を形成する。

マリリン・ストラザーンの言を借りれば、それは引き裂かれたものであるものの、完全に引き裂かれているわけではなく、相互に釣り合いがとれているわけではないが、不釣り合いであるわけでもない。それは、ひとまとまりのイメージであるものの単一のイメージではなく、部分的なイメージでなければ全体性のイメージでもない。

ヴィクター・フランケンシュタイン。そのマッド・サイエンティストによって産み落とされたグロテスクなポップ・アイコン。幾多の身体と幾多の機械の混成体。

それは、時空を超えて存在する、無数の異質なるものの、無限のつながりのイメージだ。

PHOTOGRAPHS BY KAORI NISHIDA

わたしは書く。この部屋では静かな音楽が鳴っている。その音楽を聴きながら、わたしは文章を書いている。

たとえば、かつて語られた天使たちの推論によれば、宇宙は無数の歌でできていた。存在しない歌に歌われた歌が、存在しない宇宙を指し示すならば──と天使たちは考えた。神にしか歌えない歌があり、神にしか聞こえない歌があり、仮にそうだとするならば、存在する歌に歌われなかった声を聞くことで、わたしたちは神を知ることができるのだろう──そうした仮説から導き出された論理的帰結として、天使たちは自ら初めて歌を作った。楽器を作り楽譜を作った。彼らは自ら作った歌を歌い、かつては神が歌わなかった歌を歌った。彼らが歌うというのなら、彼らたる神もまた同時に歌うということで、神が彼らと歌うことで、彼らの歌声は重なった。

暇を持て余した天使たちが書いた詩。それもまた一つの演算で、時空の書き換えには違いなく、彼らが詩を書くそのたびごとに、宇宙は震えて分岐していくのだった。

引き裂かれた時間の中で、音楽は鳴り続ける。音楽は、変わらずどこかに存在し、どこかで誰かに聴かれ続け、そして変わることなく変わり続ける。永遠に。

音楽が聴かれるとき、すべての響きは現在になる。

わたしは音楽を聴く。そのとき、わたしが聴くその音楽は現在になり、わたし自身が現在になる。わたしがここにいることを、わたしは聴くことによって確認するのだ。

Oneohtrix Point Neverというのは」と彼は言った。1と0のトリックに、終わりは決して存在しない──つまり、コンピューターの幻想よ、永遠に』という意味なのです」

かつての今、ここにあったはずの音と音。宇宙と宇宙。それらの宇宙による並行宇宙間戦争は熾烈をきわめていたものの、そこで繰り広げられる無数の戦いのそもそもの契機はなんだったのか、今ではまったく知られていない。誰しも当初の記憶は書き換えられ、書き換えられたことすら書き換えられ、そもそもあらゆる事象の原因そのもの自体もまた書き換えられているのだから、それはまったく仕方がない。

今この瞬間には戦いがあり、次の瞬間にそれが変わってしまったのだとしても、次の瞬間もまたその瞬間を生きるほかないのだと、誰もが了解せざるをえず、そのため瞬間が記憶する記憶された来歴を、正しい意味での来歴とするほかないのだろう。

本来の経緯はわからずとも、経緯とされるものは無数にあり、ゆえにここには戦いがある。今この瞬間にはとりあえず。

宇宙に風が吹き、棚田の稲穂が揺れていた。天使たちが幼かったころにはまだ、音素の結合状態に関する安定性は今ほど確立されてはいなかったため、神の似姿が稲穂にとまる様子が見られることがあった。

そのたびごとに、天使たちもまた、自分たちが見ているこの世界が、無数にある世界のうちの、たった一つの断片にすぎないことを、音のあいだで思い知るのだった。

樋口恭介|KYOSUKE HIGUCHI
1989年生まれ。岐阜県出身、愛知県在住。早稲田大学文学部卒、現在会社員。構造素子』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。Oneohtrix Point Never『Age Of』歌詞監訳を行っているほか、文芸誌および各種サイトに短編やエッセイなども寄稿している。

ABOUTtrialogについて

WHAT’S “trialog”?

trialogとは、実験的な対話のプラットフォームです。

世の中を分断する「二項対立」から、未来をつくる「三者対話」へ。
trialogは異なる立場の三者が意見を交わす空間をつくり、
「ほんとうに欲しい未来はなにか?」を考えます。

代表を務めるのはblkswn コンテンツ・ディレクターの若林恵。
さらに、ゲームデザイナー/クリエイターの水口哲也が
共同企画者として参加します。ソニーのサポートのもと、
ジャンルや国境を超えた多彩なゲストを迎え入れたイベントを開催し、
対話のためのコミュニティ形成を目指してゆきます。