人工知能のルールを誰が決めるのかという問題は、技術そのものと同じくらい重要になっている。AIの開発を主導しているのは一部の国と巨大企業だが、その影響は国境を越えて広がる。教育、雇用、行政、医療、金融、メディアなどでAIが使われれば、高性能なモデルを自国で開発していない国もその結果を受ける。そのため国連は、AIをめぐる国際的な議論に技術大国だけではなく、途上国を含むすべての国が参加できる場をつくろうとしている。その中心となるのが「AIガバナンス・グローバル対話」である。
この対話は、国連のGlobal Digital Compactを背景に設けられ、2025年に国連総会によって正式に制度化された。最初の本格的な会合は2026年7月6日と7日にジュネーブで開催された。政府だけを集めた交渉会議ではなく、民間企業、研究者、市民社会、技術コミュニティなども参加する多主体型のプラットフォームである。初回には3,000人を超える参加者が集まり、163か国が代表を送り、1,000を超える組織が関与した。AIをめぐる国際会議は以前から数多く存在したが、国連総会の枠組みの中で各国を同じテーブルにつけることに、この対話の特徴がある。
途上国にとって重要なのは、AIについて議論する機会そのものよりも、議論の内容に影響を与えられるかどうかである。AI開発には高度な半導体、大規模なデータセンター、安定した電力、専門人材、研究資金が必要になる。こうした資源は世界に均等に分布していない。豊富な計算資源を持つ国と、基本的なデジタルインフラの整備を進めている国では、AI政策の優先順位も当然異なる。前者がモデルの安全性や競争政策を議論している一方で、後者では電力、通信網、人材育成、利用料金といったより基礎的な問題がAI導入の障壁になることもある。
この格差を無視して共通ルールだけを作れば、国際的なAIガバナンスが技術先進国の事情を世界に適用する仕組みになりかねない。例えば、高度なAIモデルの透明性について同じ基準を設けても、それを検証する研究機関や技術者が国内にほとんどいなければ、制度を実行することは難しい。AIの安全性を評価するための専門機関をつくる場合でも、人材と資金が必要になる。途上国が求めているのは、完成したルールを後から受け入れる立場ではなく、ルールが形成される段階から参加し、自国の条件を反映させる機会である。
国連の対話では、この問題を「AI divide」、つまりAIを利用し発展させる能力の格差として捉えている。これは単なるインターネット接続率の差ではない。計算能力へのアクセス、質の高いデータ、専門教育、研究環境、投資、言語対応など複数の要素が重なっている。特に世界で話者が少ない言語や、オンライン上のデータが十分に蓄積されていない言語では、大規模言語モデルの性能にも差が出やすい。英語では正確に動くサービスが、アフリカやアジアの地域言語では十分に機能しない場合、AI普及が既存の情報格差をさらに拡大する可能性もある。
途上国の参加が重要になるもう一つの理由は、AIが生み出すリスクの種類が地域によって異なることである。農業中心の地域では、AIを利用した気象予測や作物管理が大きな利益をもたらす可能性がある。一方で、行政サービスを急速に自動化すれば、デジタル環境にアクセスできない住民が制度から取り残されることも考えられる。医療AIにも同じ問題がある。特定の地域や人口を十分に含まないデータで学習したシステムを別の国で使えば、期待した精度が得られない場合がある。世界共通の原則だけでなく、地域ごとの実情を議論に持ち込む必要がある。
2026年のグローバル対話では、こうした参加の不均衡を減らすため、会議前から政府や各種ステークホルダーとの協議が行われた。ニューヨークやジュネーブだけでなく、ニューデリーやオンラインでも意見交換の場が設けられた。気象や気候予測にAIを利用する際の途上国の課題など、個別分野を扱う協議も行われている。国際的なルール作りでありがちな「会議には参加できるが、議題はすでに決まっている」という状態を避けるためには、正式な会合の前段階から参加できる仕組みが重要になる。
科学的な知識を共有する仕組みも設けられている。国連は40人の専門家で構成される独立国際科学パネルを設置し、AIの機会、リスク、社会的影響について共通の科学的基盤を提供することを目指している。国ごとの研究能力に大きな差がある状況では、同じ資料と科学的評価を共有できることには意味がある。高度なAI研究機関を持たない国でも、国際的な政策議論に参加するための基礎情報を得やすくなるからである。ただし、科学的情報が共有されるだけで政策能力の差がなくなるわけではない。各国がその情報を国内制度に落とし込むための専門家や行政能力も必要になる。
また、グローバル対話は世界共通のAI法を制定する機関ではない。各国を直接拘束する規制当局でもなければ、違反した企業に制裁を科す組織でもない。その役割は、各国や企業、市民社会が経験を共有し、異なる制度の間で共通点を探し、国際協力を進めるための土台をつくることにある。この性格は弱点にも見えるが、AI政策が国によって大きく異なる現在の段階では、まず共通の言葉と問題意識を形成する場として意味を持つ。
途上国にとって今後の焦点となるのは、参加が象徴的なものに終わらないかどうかである。会議に席があることと、技術開発の方向や国際的な基準に実際の影響力を持つことは同じではない。計算資源へのアクセス、人材育成、研究資金、データ基盤、地域言語への対応など、能力構築への具体的な支援が伴わなければ、AIを作る国と利用するだけの国の差は縮まりにくい。2026年には国連事務総長から、途上国がAI能力を構築する際に直面する固有の課題を扱った報告書も提出され、資金や技術能力の格差が国際議論の中心課題になりつつある。
AIガバナンスをめぐる国際対話はまだ始まったばかりであり、ジュネーブでの初回会合だけで世界共通の方向性が決まったわけではない。次回のグローバル対話は2027年にニューヨークで予定されている。重要なのは、そこで先進国が作った政策を途上国に説明するのではなく、異なる経済状況や社会的課題を持つ国がルール形成の初期段階から参加し続けることである。AIが世界共通のインフラに近づくほど、そのガバナンスも少数の技術大国だけでは設計できない。国連のグローバル対話が本当に意味を持つかどうかは、これまで国際的な技術政策で発言力を持ちにくかった国々の意見を、実際の制度や協力策にどこまで反映できるかにかかっている。